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520名が犠牲になった日本航空123便墜落事故から24年の歳月が流れた。平成生まれが新成人となり、事故を知らない世代も増え、日本航空123便墜落事故について語られることもまれになった。
しかし、日本のみならず世界でも最大級の航空事故として、その記憶はとどめておくべきだろう。
事故国境や世代を超え、教訓をどう伝えるのか。日本航空123便墜落事故は多くのことを問いかけ続けている。
【ありし日の日本航空123便(JA8119)】

日本航空123便は東京(羽田)発大阪(伊丹)行のボーイング747SR-46だった。(機体記号JA8119)
夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なった機内には乗員乗客524名を乗せており、123便は定刻をやや遅れて、18時04分に羽田空港18番スポットを離れ、18時12分に当時の滑走路15Lから離陸した。
そして運命の時はくる。18時24分(離陸から12分後)、相模湾上空23900ft(約7200m)を上昇中、突然の衝撃音とともに後部圧力隔壁が破損、与圧されていた客室内の空気が垂直尾翼に吹き込み、垂直安定板の下半分のみを残して吹き飛ばしたのだ。
【偶然撮影された機影】

さらに、ハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てが機能を失い、エレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不可能になってしまった。
通常の操縦手段を奪われたコックピット・クルーは、エンジンの出力調整・緊急時の電動によるフラップとギアダウンなどを行い死力をつくすが、日本航空123便は迷走ともいえる飛行を続ける。
【日本航空123便の機内の様子】

コックピット・クルーは羽田空港を目指したのだが、日本航空123便は大きく内陸の山岳地帯上空に向かう。
そして対地接近警報が鳴り響く中、ついに群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。
【日本航空123便 墜落現場】

墜落現場では生存者が救助を待っていたのだが、墜落場所の特定、救助の開始には時間を要した。
【救出される生存者】

墜落時の猛烈な衝撃と火災によって、犠牲者の遺体の大半は激しく損傷し、盛夏であったこともあり、遺体の腐敗の進行も早かった。

遺体は、機体から投げ出され樹木に突き刺さったもの、機体の残骸にはさまれたり切断されたりしたもの、一部が落下の衝撃で地中深くに埋もれたもの、圧力によって2名の体が一つにめり込むように合体したようなものなどが発見された。

遺体の部位によっては、挫砕され完全に識別困難となった部位や、墜落の摩擦で完全に消失した部位もあった。

事故原因の究明が開始され、コックピット・ボイスレコーダー(CVR)の記録が公開されたが、それは極限状態のあまりにも生々しいコックピットのようすを浮かび上がらせるものだった。
なお、この事故では、歌手の坂本九、元宝塚歌劇団娘役で女優の北原遥子、阪神タイガース球団社長の中埜肇、ハウス食品社長の浦上郁夫、大阪大学教授の塚原仲晃、コピーライターの藤島克彦、大相撲の伊勢ヶ濱親方(元大関・清國)の妻子、タレントの吹田明日香の母など、著名人が多く乗り合わせていたことも大きな関心を引いた。
【当時の新聞記事】

【乗客の残した遺書】

マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって
ママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは
最後とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している
インターネットが普及した今日では、日本航空123便墜落事故に関連する多くの情報にふれる事ができる。
事故の検証や記録をはじめ、機長の発した「これはもうだめかもわからんね」「あたまあげろー」「あーっもーうだめだ」という言葉は、2ちゃんねるでのスラングとして定着すらしている。
航空機の安全、救助体制、日本航空123便墜落事故は多くの教訓をもたらした。
しかし、あの時多くの人命が失われたことは紛れもない事実なのだ。
日本航空123便墜落事故は凄惨かつ悲惨ではあるが、とどめておくべき記憶といえるのではないだろうか。